2008年10月2日木曜日

風の詩


清々しい風を感じた
雨の振った後の晴れた空気は気持ちがいいもので,台風が去っていった今日、久々にさわやかな風を感じた。

2008年10月1日水曜日

カエルの詩


 カエルとバジルのかくれんぼう
バジルと雨蛙の色がよく似ている。葉っぱに隠れようものならば、雨蛙は見つからない。見つかったとしても,カエルは逃げない。逃げると思うは…。

2008年9月30日火曜日

緑色の詩


緑色の詩
 緑色を見たときにどのような感じ方をするでしょうか。私の緑色のイメージは、このような詩になりました。人それぞれ感じることは違うけれど、緑色は生命の根源であるような気がしてなりません。



2008年9月29日月曜日

地球から脱出するとき


地球脱出
 環境問題は、深刻な事態を迎えている。経済発展のために今も犠牲になる地球環境は、悪化の一途を辿っている。今、手当をしないと、大きな手遅れになる。少しは不便でも、無駄なことを減らす人間になっていかないと、地球から脱出しなければならない。

2008年9月28日日曜日

物思い


秋の夜長は物思い
 秋は物思いにふける時。夜の長い間に夏の日々を反省している。

2008年9月27日土曜日

環境を考える


環境
 いろいろなことが変化している。特に環境は激変している様につくづく感じるこのごろ。少しでも意識を変えながら、生活に取り入れていかなければ、自分たちや子どもたちに降り掛かることになる。今よりもいい環境を考えるとき、便利さからの決別をするとともに、新しい技術と知恵が必要になってくるのだろうと思う。その前に個人個人が出来る努力をしていかなければ大変な結果になってしまう。時間はない。

2008年9月26日金曜日

見上げた風景


不思議な風景
 視線をたまには、見上げてみよう。不思議な風景が目の前に広がってくる。写真にすると造形的なものになってしまうが、切り取る写真は、面白さを提供できる。

2008年9月25日木曜日

秋に思う


秋を感じるとき
 秋は寂しく感じてしまう時がある。暑い夏が過ぎて、周りの色が一色になっていく。寒さも手伝ってか、物思いに耽る時間が多くなってしまう。


2008年9月24日水曜日

静物/存在を感じるとき


静物
 人の家に行くといろいろなものが、机や棚に置いてある。それは、その人がただ単にものを配置するだけのことなのだけれども、そこのは、その家だったりその住んでいる人の想いが何かを伝えようとしている気がしてならない。

2008年9月23日火曜日

2008年9月18日木曜日

サボテン


サボテン
 しばらく、そのままにしていたサボテンが枯れた。一年ほど前に購入したものだが、水も与えないまま家の中に放っておいてしまった。
 枯れてないサボテンが2つほど残ったので、植え替えてベランダに出している。サボテンは不思議な植物である。寒さにも強いし、暑さにも強い植物なのである。暑い場所に生息する植物と思われがちだが、寒さに強い。

小さな公園



公園
 近くにある公園は、朝から真夜中までいろいろな人が行き交う。しかし、朝の顔と昼の顔と夕方の顔と夜の顔といろいろな顔を持っていて、その時間帯の明るさによっていろいろな人が変貌を遂げるのだ。
 人が見ていない夜には、昼までは考えられないことが起こることもある。しかし、朝になれば、公園はいつもの公園に戻っている。

2008年9月17日水曜日

芸術の流れ



今、芸術の流れが変わってきている。
面白い時代になってきたのだろう。西洋文化から、アジアやイスラムの文化や人々が台頭してきた今の状態を考えれば当たり前のことなのだが、今まではそうではなかった。
911のテロ事件あたりから、その変貌が現れ始めた。今までの植民地支配的なヨーロッパやアメリカなどの価値観が停滞してきたのが、その主な原因といえるだろう。
生産しない者に報酬を与える時代はこれから衰退していくのは当たり前の道理である。世界経済が狂ってきた現状を考えれば、今、サブプライムローン問題は起こるべきして起こったことだと思うし、財政の収支の合わない政府予算が破綻するのは、政治の無能力さが露呈しただけのことだろう。
そのような中で、芸術は面白い時代になってくる。言葉を言葉ではなく、感性に訴えることの出来る作品が評価される時代になってくることを期待する。

2008年9月16日火曜日

フィルムカメラ


フィルムカメラとデジタルカメラ
 毎日、文を書いていると遅くなってしまうので、今日は、昼間、空いた時間に言葉を作りました。最近、フィルムの種類も少なくなってきて、昔は、現像所にフィルムを持っていって、現像の上がりを待っていたが、今は、パソコンの前で、画像を解析している。
 デジタルが簡単かといえば、簡単ではない。操作部分に振り回されることが、多いのが事実である。みんな覚えられれば問題はないが、そのことを体に染み込ませるのには時間が変わる。デジタルカメラは、進化していき、一定の操作ではないことがしばしばあるようで、慣れるまでカメラを操作しないと、いいカットを逃してしまう。
 フィルムの味があるのだろうけれど、その操作は、意外にパソコンでも出来てしまうことがあるから面白い。ただ、こだわりとして、じっくりと写真を計算しながら撮っている気はするのだが、意外に露出計代わりに使ったりもする。
 本当に思えることは、便利なものと機能がたくさんあることとは、全く違うことで、便利に使えるデジタルカメラが出てきたときに自分のカメラとなるのだろうと思う。

ガーデニング


庭のガーデニングはナチュラル
 家の庭をガーデニングするのは、こまめに手入れしなければ、奇麗にはならない。そのような無関係の自分だが、時より、庭に手を入れたりして自分の好きな植物を大きく育てようとする。
 植物もかわいがっていれば、そのように反応してくれるが、しばらく、水やりだけでほったらかしにしていると、勢いのある植物がいつの間にか勢力を伸ばしはびこっていく。生命力のある植物は、取ってもまた生えてくるが、何度となく繰り返していると出てこなくなる。そのうちにまた、別な植物が勢力を増して、庭の分布図を変えていく。
 やはり、どの世界にでも、このような構図があるのが面白いし、意外にその様は自然に近いガーデニングかもしれないとおおじゃく者のガーデナー気取りの怠け者は、ほくそ笑んで楽しんでいる。

2008年9月15日月曜日

夜の首都高の光


夜の光
 夜の首都高の光は、絶え間なく光り、そして、光の中えと突き進んでいく。考えることもなくただひたすら、車のアクセルを踏んでいるだけになってしまう。自分が何の為に車を走らせているかを感じないまま、自分の意志とは関係なく進んでいくことが、その流れの中にはある。
 自分のペースで車を走らせることが出来れば、ドライブは楽しいのだが、首都高の光と車たちは、それを許してはくれないようだ。

2008年9月14日日曜日

おもちゃ箱の言葉


街の風景はおもちゃ箱
街を歩くと主がけない風景と出会う。それは、自分自身を落ち着かせてくれる風景だったり、楽しくさせてくれるものだったりと楽しい。
 ドイツの建築写真家のベルント・ベッヒャーとその婦人であるヒラ・ベッヒャーの構造的な建築物の写真は、給水塔や鉄橋を構造的なものとしてデザイン化して写真にしていった。近代建築の造形物を自分の中に消化していくという作業の中で、フォルムにこだわり続けた作品を作っていった。
 街は、意外にそのような面白い建築物で溢れているのだ。街を歩きながら怪しげに視線を上下しながらいると面白い風景が飛び込んでくる。事実は、写真に撮影しろと強要する。

2008年9月13日土曜日

秋の月


秋の月は奇麗だ。
 秋の月は奇麗に見えるのはなぜだろう。輝く月は、夏の月やその他の月と違う。空気が澄んできて、だんだん寒くなってくるからだろうか。夕暮れ時に見上げると、月が輝いている。
 「月を射る」は、TBSのドラマの「白鷺」のオープニングに出てくる鉄の巨大な彫刻のタイトルを使ってみた。彫刻の作者の青野正さんの作品は、このような気持ちでこの作品を作ったのだろうかと考えたときに月を思い出してしまう。
 昔から、月を杯の器に映して、飲んでみたりと月に関しての感情表現は多いが、奇麗な月をみていると、撃ち落としたくなる。

2008年9月12日金曜日

蓮の花の開花


蓮の花が開いた
 蓮の花の咲く一日の時間は,3時間から4時間ほどで,また,萎んでしまう。開花している日数は、3日から4日ほどで咲かなくなってしまうようだ。なぜ、蓮の花が仏様の花かが解ったような気がした。花は,シンメトリックな幾何学的な模様をしており,清楚な中にも華やかさがある。そのような花の儚さが仏教の花として選ばれたのだろう。
 蓮の花は,睡蓮鉢にメダカを飼い始めて昨年購入した。一年めは咲かなかったのだが,今年は,写真の花で5輪めである。その花が咲く瞬間を私は見て感動してしまったのだ。蕾は太陽の光を浴びて暖かくなって、花びらの水分が蒸発して,花びらと花びらが剥離して,ぱーっと咲いたのは,蕾を見ていたほんの3分ぐらいのことだった。
 ポンと咲き,一時間ほどで開花して,3時間ほどで蕾みになってしまう面白い花である。

2008年9月11日木曜日

太っちょメダカ


太っちょメダカ
 家にいるメダカは,とてもメタボで面白い。写真を見ていると金魚だか,メダカだか区別がつかないほど太っている。このメダカは,生まれて2年めになるが,親メダカが10匹ほどいた中で,唯一,このメダカだけが家の睡蓮鉢の中で育った。
 今では,睡蓮鉢の中にいるメダカの中では一番古い。5匹ほどいるが,この睡蓮鉢のボスであり,他のメダカはこのような姿はしていない。太っているのだが、このメダカは,危険を感じるとこのメダカたちの中では一番逃げ足が速いことには驚く限りだ。
 このメダカに餌をあげるときがこのごろの楽しみになっている。








2008年9月9日火曜日

2008.9.9の詩/トマト


トマト
 写真と詩を毎日のようにブログに載せて自分の言葉を作っていくことを試みようと思いブログを作り始めました。さて、毎日、続けることの大切さ。3日坊主に終わらなければ良いけれど、今日から、始めることにしました。
 この写真のトマトは、2階のベランダにあるトマトです。イタリアントマトといい、皮が硬めのトマトで、茄子のような形をしています。トマトは、太陽の良く似合う食物で、太陽が照ると2、3日で一気に赤くなります。